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イタリア映画の残照

 

 イタリア映画祭は、2001年の「日本におけるイタリア年」から始まったイベントで、「イタリア文化会館」と「朝日新聞社」の共同プログラム。それ以降、今日に至るまで続いている毎年ゴールデンウイークの僕の目玉イベントだ。

 

 僕にとっては、イタリアに駐在していたこともあり、さらには、2001年の「伊東市・リエティ市の交流祭」にボランティアとして参加し、仙台市でもイタリア関連のボランティアをしていたので、チャンスがあればイタリアの映画を見てみようと思ったのが始まりだ。忘れかけていたイタリア語にじかに接する目的もあった。

 

 残念ながら、心臓君の問題で2003年から2009年までは、遠くで指をくわえて見ていたわけ。なんとか元気をふるって、マリオンまで再度、出かけられるようになったのが2009年。僕にとっては画期的な年だった。

 2018年は、突然の足の痛みで、この映画祭には参加できなかった。

 2019年今年、2019年、2年ぶりに映画祭に行くことができて、2018年の新作の一本を見ることができた。

 逆時系列で並べてみると、正確に記録が残っているのは2009年からで、2003年以前の数回は記録も記憶もない。残念。

2021年

 

・無料の短編2編:あなたの不幸はわたしの幸せ

                            フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!

・「こどもたち」ジュゼッペ・ボニート 

        Giuseppe Bonito                                    

 

2020年

・「月を買った男」パオロ・ズッカ 

         Paolo Zucca  

2019年

・「帰ってきたムッソリーニ」ルカ ミニエーロ

​       Sono Tornato

      

2017年

・「歓びのトスカーナ」

​       La pazza gioia

2016年

・俺たちとジュリア エドアルド・レオ

       Noi e La Giulia

 

2015年

・生きていてすみません!  リカルドミラーニ

       Scusate se esisto !

 

2014年

・ようこそ 大統領! リッカルド・ミラーニ

       Benvenuto Presidente !

 

2013年

・日常のはざま レオナルド・ディ・コスタンツォ

           L’intervallo (Leonardo Di Costanzo)

 

2012年

・ジャンニと彼をめぐる女たち eジャンニ・ディ・グレゴリオ

           Gianni e le donne (Gianni Di Gregorio)

 

2011年

・ラ パッシオーネ カルロ・マッツァクラーティ

           La Passione (Carlo Mazzacurati)

・星の子どもたち  Figli delle stelle

           ルーチョ・ペッレグリーニ(Lucio Pellegrini)

 

2010年

・勝利を マルコ・ベロッキオ

           Vincere(Marco Bellocchio)

・ハートの問題 フランチェスカ・アルキブージ

           Questione di cuore(Francesca Archibugi)

 

2009年

・ミケランジェロの眼差し ミケランジェロ・アントニオーニ 

           Lo sguardo di Michelangelo (Michelangelo Antonioni)

・プッチーニと娘        パオロ・ベンヴェヌーティ

           Puccini e la fanciulla (Paolo Benvenuti)

・やればできるさ ジュリオ・マンフレドニア

           Si può fare (Giulio Manfredonia)

 イタリア映画祭の他に、TOHOシネマが企画上映している「午前十時の映画祭」がある。これも日本では見ることのできないヨーロッパの映画をやっている。この中にイタリア映画もあるので、拾ってみている。これも大切なイタリア文化との接点だ。

 

 もっともっと時間をさかのぼってみれば、新宿の伊勢丹の前にあった、アートシアターギルドがやっていた新宿文化」で見た、イタリアやフランス映画の名作たちだ。

 

 例えば、フェリーニでは、

  「道」、「甘い生活」、「8 1/2」、「フェリーニのローマ」など。

  ・「甘い生活」は、ぼくのその後に大きく影響した。物の多面性という面で…。

  ・「8 1/2」は、ミラノのドゥオモの上から広場を見ていると、一塊だったストライキの大群衆が、いつの間にか仲間での議論が始まって、小さなグループにわ    かれて無数の議論を始めた日のこととオーバーラップする。

 

 デ シーカだって、

  「昨日・今日・明日」、「ああ結婚」、「ひまわり」などを思い出す。

  最初にイタリア語を覚えたのは、この「イエリ、オッジ エ ドマーニ」だった。

 

 フランス映画も沢山見た記憶がある。

 

 レネの「昨年マリエンバードで」、

 ゴダールの「気違いピエロ」、「勝手にしやがれ」

 トリュフォーの「ピアニストを撃て」などが浮かんでくる。

 それにしても、マリエンバードは難解でとてつもなく分からなかった印象だ。

 

 こんな記憶の中から、「午前10時の映画祭」の作品を拾ってみると上のようになるってわけだ。

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