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イタリア映画祭 2012 

 

 今年も、楽しみな映画祭を見た。

 日常的には、最近イタリア映画にはおめにかかれない。例外は、三番町のイタリア文化会館の特別プログラムぐらいかも。

 

 日本から、洋画としてのイタリア映画が消えて久しい。同じくフランス映画もそうだ。

 

 むかし、映画がまだ元気だったころは、いろんなところに、いわゆる名画座なんてものが在って、フランス映画やイタリア映画、ポーランド映画なんてものが、みんなの見えるところにあった。

 

 しかし、今はどうだろう。洋画というと、99%アメリカ映画。

 ストーリーも、写真もだいたい一様で、選択するとしても、ジャンルということになるだけだ。

 

 こんな反動で、韓国映画が人気を得ているのかもしれない。僕は、嫌いだけれど…。

 

 さて本題は、今年のイタリア映画祭。

 いつもと同じ、ゴールデンウイークの真っただ中での開催だ。

 

 いつもは二本は見るのだけれど、今年は一本。

 同じ日に二本見ると、なんだか各々の印象がぼやけた感じになるようなので、一本にした。

 

 特に前評判の高い作品はなかったようなので、喜劇系を最近選んで観ているので、そのジャンルで、

 

 邦題: ジャンニと彼をめぐる女たち

 原題: Gianni e Le donne (直訳:ジャンニとその女たち)をみた。

 

 現役を退いて、老年期に入ろうとする年齢(60才~)のお人よしのジャンニと、その周りの女たちのドラマだ。

 

 金持ちのお袋さんと、その取り巻きの老女たちには夜昼なく呼び出されて、いろんな仕事を押しつけられる。しかし、彼は断れなくて、振り回されている。

家の中では、これもカミさんと娘とに、適当に使われている。

 

 同じアパートの若い女性には、淡い期待にそそのかされて、巨大なセントバーナードの散歩や、買い物を頼まれる。しかし断れない。

 

 そこには、老年期に入ろうとする「イタリア男性」のペーソスが見えてくる。なぜ「イタリア男性」と定義したかと言えば、イタリアの男性を、僕はかなりよく知っているからだ。日本人と比べてみると、彼らの持つ女性に対する感情の持ち方が、「男」という立場にはっきり立っているからだ。

 

 美しい女性に対しては、何時も気持ちを動かされ続け、歳を取ろうが、若かろうが、敬意と期待を持って、「積極的に行動するのが当たり前」 と思っているからだ。その点、引っ込み思案で、自分の心の中でひそやかに期待し、女性に焦がれる日本の男性の態度とは全く違う。彼らは、機会があれば、気持ちを直接、行動に表現する。

 

 彼の周りの同じ年齢の老年の男性たちも、かくしゃくとして、女性とのかかわりを積極的に作っていく。しかし、ジャンニにはそれはなかった。

 

 でも若さ、若かった男性としての自分への執着心は捨てきれず、いろいろ行動してみるが、そこを女たちに見透かされ、結果としては、周りの女性たちに便利に利用されてしまう。

 

 間違って、マリファナか、大麻入りの飲み物を飲んでしまった彼は、彼の心の中にある妄想、夢を明確に見てしまう。心の深いところにある、渇望でもある。

 

 でも、大した収穫もなく、若さへの執着心はしぼんでいってしまう。

 

 そして、実はどこかで馬鹿にしてきた老人たちの仲間に、自分もいつかなってしまっている自身を発見する。

 

 映画を観終った瞬間は、なんだかつまんない映画に思えた。監督の意図が直截的には伝わってこなかったのだ。しかし、少し時間が経ってから、心に残った印象を見つめてみると、深いところで、共感するものが浮かんできた。

 

 まさに、僕の中でも若かった自分に気持ちが、なお、残っているし、美しい女性に対する感情も動く。しかし、現実は、いつの間にか、老人の世界に入り込んでいっている自分を発見させられるのだ。

 

 このペーソスは、映画のなかの「イタリア男性」のものだけではなく、「日本男性」の、いや世界中の男性の老年期に差し掛かった時に出会うペーソスなのだとわかってしまったのだ。

 

 やはりこれは、喜悲劇ではなかろうかと今は思っている。

 監督の狙いが、じんわりと効いてきたのにちがいない。

 

<この絵はイタリア映画祭2012のHPをお借りしました>

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