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てつんどの世界 The World of Tetsundo
徳山徹人の世界にようこそ! Welcome to the World of Tetsundo TOKUYAMA

Last Update : Dec. 5, 2021
鉄道員
午前10時の映画祭で、懐かしい1956年のピエトロ・ジェルミ監督および主演の「鉄道員」
をおそらく40年ぶりくらいで見てきた。
イタリア・ニューレアリズムの名作だったが、時間が経った今どう見えるのか楽しみだった。
結論は、「そうだったなぁ」というところで止まってしまった。昔、見たときの生きた感情が全く
舞い戻っては来なかったのだ。
どこで、だれと見たのかは覚えてはいないけれど、このモノクロの映画に、最初に見た時
には感動したものだ。
ラストシーンの「ブゥオンジョルノ シニョーラ」と言う声と、階段を駆け下りていく靴音、
そして、朝の始業を告げる街に響くサイレンの野太い音、それが昔も、今回も心に残った。
このシーンのバックグラウンド・ミュージックも定番でよく覚えていた。
しかし、ストーリーには全く感動しなかった。筋を知っていたからかもしれない。でも、二度目に見ても感動する映画が存在するのは確認済みだから、何かが違っているのだろう。
この映画は、小学生の息子、サンドロの視点から見たパパァを中心とした回想の映画だ。この視点設定自体も、当時は新鮮だったのかもしれない。
あらすじは、50歳のイタリア国鉄の特急の運転士(ローマ~フィレンツェ、ミラノ間)の家の物語だ。
娘のできちゃった婚と、その孫になる子の死産、長男のぐうたらな生活、貧しいけれどいたずら盛りで明るいサンドロ。そして、夫を優しく見守る妻、そして、たくさんの飲み友達。
自分の運転する列車へ青年が飛び込み自殺をした。この衝撃を受けた直後、ボローニャ駅で赤信号を見落とし、あわや正面衝突の大惨事のところを急ブレーキで何とか逃れる。格下げされて、入れ替え用SLの機関士。収入も激減。しかも、組合のストを破って「スト破り」のレッテルを張られる。家に居付かず、酒場を転々として飲み過ぎて体を壊す。
サンドロに見つけられ家に帰る。何か月か療養してクリスマス。機関士の親友が、たくさんのともだちを連れてやってくる。長男も娘も戻ってくれる。しかし、このパーティーの後、自慢のギターを弾きながら、眠るように死んでいく。
なんだ、そんなことって、人生にあるよなって思ったのかもしれない。それは僕が、同じように人生を長く生きてきたから、こんな出来事は当たり前になってしまって、感動しなかったのかもしれない。
最初に見た時には、まだ若くて、いろんなことに対する感度がたかく、アンドレアの人生の悲喜劇を、自分にもこれから起こる可能性のある、幸、不幸のように感じて、感情移入をしていたのかもしれない。
しかし、今回は自己投影を見ていたのかもしれない。生きてきた人生を振り返れば、「人生ってそんなもんさ!」と、うそぶいている自分がいるのかもしれない。そうであれば、感動しないのはよくわかる気がする。
端的に言うと、自分の感情に鈍感になってきているのかもしれない。
客席は僕よりも少し年齢の上の人が多かった気がする。懐かしさが、僕と同じように彼らを呼び寄せたにちがいない。
1956年作成は、僕の青年期の10年くらい前だ。この時代に青年期を迎えた人たちが「化石」と呼ばれ始めるその年代に、僕自身も確実に近づいている。
生のイタリア語を聴けたのは楽しかった。今のイタリア語より少しゆっくりな感じがした。時代のせいかも…。
一つ発見があった。
今、イタリア国鉄で使われている駅の「何番線」を意味するBinario(対になったもの:プラットホーム)が、映画ではMarciapiedi(歩道、プラットホームと言う意味もある)と呼ばれていた。
立派な駅は別として、だいたいヨーロッパの駅のホームは、日本に比べて低いつくりだ。お客は、ほとんど線路と同じくらいの高さのプラットホームを歩いて、やっとこさ、客車に乗り込む。だから、Marciapiediも名は体を表していると言えそうだ。使用される単語も、時の流れとともに変わってきているようだ。
P.S.
イタリア語で思い出したけれど、いまNHKの第二放送(ラジオ)でやっているイタリア語講座でやっている、「やればできるさ」 Si può fare (監督Giulio Manfredonia)は、一昨年、イタリア映画祭で僕が見た作品だってことが分かりました。これは本当に良い喜劇でした。
<この写真はflickrから、Veletio Pirreraさんの ”Capostazione(駅長)“をお借りしました>
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