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 僕の心臓君の問題は、伊豆高原では対応がつかなくなって、急きょ、最先端の医療を求めて、東北大学医学部付属病院のある仙台市に移ることにした。

 

 やはり仙台でも、イタリア語を生かしたボランティアがしたいと、仙台市の国際交流ネットワークに参加した。主な活動は次の二つだった。

 

  ・国立宮城教育大学とペルージア国際大学の短期留学生制度のサポート

  ・仙台ネットワークが主催する、イタリア関係のいろんな行事への参加

 

 仙台では、宮城教育大学イタリア・ペルージアの国際大学と定期的な交流があった。早速、大学に市瀬先生を訪ね、ボランティアでできることはないかとおたずねした。すると、ペルージア国際大学と短期交換留学制度があって、毎年、8月の末からクリスマスまで4~5名の学生が仙台に滞在するという。

 

 この学生たちのホームステイなどに参加していただけたら…という提案をもらった。早速、その年の秋から、その中の一人の面倒を見ることが決まった。それが、ラウラというお嬢さんだった。頭の切れも良く、目の美しい、優しいお嬢さんだった。

イタリアからの学生や、オーストラリアからの学生、イタリア・スローフード関連の人たち、仙台でイタリア語を勉強している人たちを含めて、僕のマンションのバンケットルームで国際交流パーティを開いた。20名強の人が集まって、賑やかなパーティになった。

 初めてのイタリア語の人もいて、日本語とイタリア語の構造的な大きなギャップに困っていた人たちへのサポートをかってでた。もちろん僕自身も、イタリア語に触れる機会が増えて楽しかった。

 

 その後、心臓君の機嫌が悪くなって、ボランティア活動で前に出て役割を積極的に行うことはできなくなってしまったが、僕の中では、最初の僕がミラノの冬の霧の中で、温かくしてもらった時の1000分の1でも、お返しが出来ていたら幸せだと思っている。

 

 今も、最初のホームステイの娘さんとはメールの交流がある。

 

 ボランティアは当事者、双方に何か、形にならないものを残してくれるようだ。それだけ、人の世界を広げてくれる楽しみがあるのだろう。こうした機会を持てたことに感謝している。

 

 今も横浜で、僕の心臓君の許す限りの、こうした機会を探しているところだ。

仙台でのイタリア語ボランティア ボランティア2

ペルージア大学からの学生が開いたイタリア料理教室に参加したり、東北大のクラブとの交流なんかにも参加して、楽しい時間を過ごすことが出来た。

 もう一つのボランティアの活動は、仙台市のIVネットワークが主宰する、イタリア関連の行事に参加して、イタリア語を勉強する日本人や、日本人にイタリア語を教えるクラスを開いているイタリア人に対するサポートだった。完全な通訳とはいかなかったけれど、これらのイタリア人と日本人の間に立つことが出来た。

 

 中でも、一番深い付き合いになったのは、イタリア・パルマから来たオルネッラさんとの親交だった。彼女は、ネットワークの主宰するイタリア語講座の先生だった。仙台国際交流センターで、中年の女性を中心に、月に二回の講座を開いていた。

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