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德山文書 : 岡山大学図書館蔵

 

 徳山家文書は美作国大庭郡上徳山村(現、真庭市蒜山上川上)の徳山家に伝来された古文書・記録類4,676標目 10,248点である。

 

 徳山家の初代といわれる徳山将監が南北朝末期に美作守護職赤松氏麾下の岩倉権守春時の家老であったといわれる。正平17年(1362)山名時氏の美作攻略後は山名氏に属し、一時は紀州に転戦し、居を構えたとされるが、後に旧里に帰り帰農したといわれる。

 

 文化・文政の頃に地元屈指の地主へ成長したと言われる。徳山家文書もその頃の田地売券・借用証文類が多い。鉄山経営史料も多い。

 

 

 

 

 

 

美作国徳山氏の遠祖
 

  美作国徳山氏の遠祖について、「徳山一族」は、徳山蒜天氏提供の資料として、以下のように記しています。

「当家の遠祖は、大織冠藤原鎌足公四代の孫、参議藤原乙麿二十代の後胤貞衡なり。即ち、貞衡は美作国の守護となる。これより其の子孫は、美作国大庭郡徳山村に住す。故に地名に因みて徳山を称す。

      藤原鎌足――不比等――武智麿――乙麿・・・貞衡・・・徳山将監広照

【徳山将監広照】


  赤松氏の臣、岩倉春時の家老職を勤む。康安の頃、山名時氏美作守護になるに及びて将監父子は山名氏に従う。而て、紀州に転戦、雨山城に居を構えたり。その後、明徳の頃、山名氏衰退によりて再び赤松氏美作守護になるに及び将監父子も旧里に帰りたり。而て、将監は家督を嫡子右馬丞に譲りたり。その後、追々武門を退きて農事を営む。嘉吉元年歿。」

  また、同じく、将監以降の系図を以下のように記しています。(表中、○は金へんに冊の字)

 

       初代  将監広照

       2代  広次(右馬丞)

       3代  広貞(周○)

       4代  広郷(権之助)

       5代  広綱(七郎左衛門)

       6代  広安(与四郎)

       7代  敬連(徳右衛門)

       8代  敬元(新四郎)

       9代  敬近(弥三郎)

       10代 敬房(弥三郎)

       11代 敬益(与三右衛門)

       12代 敬隆(与三左衛門)

       13代 敬国(与三右衛門)

       14代 敬久(平左衛門)

       15代 敬嗣(利兵衛)

       16代 敬方(平右衛門)

       17代 敬明(幸助)

       18代 敬寛(利左衛門)

       19代 敬猛(周蔵)

       20代 敬忠(集蔵)

       21代 敬錫(周蔵)

       22代 敬信(馬太郎)

       23代 敬篤(朝太郎)

       24代 高之

       25代 博

       26代 周一

 

 

德山てつんどの注:25代目(故)博さんとは交流があり、その奥さま、徳山美津子さんとは今も交流があります。(2014年)

 

 

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