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エッセイスト& TAカウンセラー Essayist & TA-Counsellor
てつんどの世界 The World of Tetsundo
徳山徹人の世界にようこそ! Welcome to the World of Tetsundo TOKUYAMA

Last Update : Dec. 5, 2021
自分史を映しだす車たち(その1)
最近、神様がいつまで、僕を生かしておいてくれるのかが分からなくなってきたから、今までの時間の中で出会ってきたものたちのことを記録し始めました。
これが結構面白い。いろんな切り口がある。
たとえば、延べ10日以上話したことのある女ともだちのリストだとか、うまれてこのかた、何度どこからどこへ引っ越したとか…。
女ともだちは、いろいろ差し障りがあるので、リストをお見せすることはできない。かといって、イニシャルで書くと、全く自分の頭が混乱して、文字をつづるエネルギーの感情が湧き上がってこない。だから、あきらめて、心の中に閉じ込めておくことにするしかない。
引っ越した回数は、26回と出た。びっくりだ。住んでいた場所だけでもこんなにある。
生まれは、谷中の墓地近く。以来26回というと多い方かもしれない。でも住むところを決めるのは、自分ではできない期間が結構あるからしょうがない、自分が決定したものでない引っ越しも、いっぱい入っている。
そういう意味では、主体的に選んだ自分の記録は、一番は車かもしれない。これは誰かが押し付けたりするものではないからだ。全部、自分の意志決定でやったものだから。
並べてみると。こんなふうになる。時間の経過と同じ順番だ。
フィアット 850s
フィアット 128
マツダ ファミリア
日産 N510
三菱 ギャラン
日産 810
フォルクスワーゲン 初代ゴルフ
ボルボ 360GLT
三菱 ギャラン
スバル インプレッサ
スバル R2
プジョウ 206
ホンダ フィット
なぜ最初がフィアットだったかといえば、僕が30近くなるまで、日本では車は買えなかった時代だからだ。
僕の親友は、その頃トヨタのパブリカのオンボロに乗っていて、信州に行ったときはサイドブレーキが全くきかない状態で走っていた。走っていると足元の穴から、流れ去る道路が見えたくらいのしろものだった。そんなパブリカで、パトカーを追っかけたって思いでもある。
僕がフィアットの新車850スーパーを手に入れたのは、僕が幸いにもイタリア・ミラノの駐在員を言い渡されたからだ。
イタリアでは、その頃は車がないと、公共交通手段は市内を除いて貧しくて電車しかなかったから、自由に動くことができなかった。
僕のオフイスはミラノから広大な敷地を求めて、20キロくらい離れたサイトに移った。朝は、地下鉄の終点からプルマンと呼ばれる2両編成のバスが出ていたけれど、ほかに夕方までミラノの戻ることはできなかった。仕事上の必要もあって、車を買うことになった。
この幸運が、その後の僕の行動半径を、アルプスを越えてオーストリアやドイツまで広げてくれたのだ。思い出深い車だった。たかだか、850㏄のエンジンを後部に乗せたRR方式の古い設計だったけれど、僕には夢のようだった。
車は会社のミラノ支店のイタリア人と、直接、ミラノのフィアットの工場まで出向いて、ラインでまさに組み立てている最中の一台を選んだ。これがフィアット850Sとの出会いだった。この車の名前の呼び方は、日本語ではちょっと変な感じがする。オットチェント・チンクワンタだ。0をとって、85を読むとオッタンタチンケだ。さいごのケをコに変えると、元気のいい男性ということになって、日本人の笑いのもととなる。
その頃のミラノの大衆車としては、最近、新しく1200㏄で新しいデザインで復活したフィアット500が主流だった。だから、僕の車は、大衆車の中で、ちょっこり上等なグレードだったのだ。しかも「スーパー」がついている。何がスーパーだったのかは忘れてしまった。エンジンがチューンアップされていたのかも。
この車には丸2年、乗った。
平地では、平気で時速150㎞も出るので、どんどん走った。でも、山道は苦手だった。アルプス越えなんかの時には、本当に火を吐いて登っていた。かわいそうでもあった。フィアットの整備工場で、スピードの出しすぎで、プラグが焼けたとよく文句を言われた。僕は、そのくらい飛ばし屋さんだったのだろう。
日本のお偉いさんがミラノに来た時、僕が足になって送り迎えをした時、お前さんの運転は怖いと言われた。でも、ミラノでは普通の運転だった。
今は、日本でもそんな契約があるようだけれど、2年後の残存価格を決めて買っておいて、2年後に最終的に買うかどうかを決める契約だった。僕の任期が2年で切れて、フィアットとおさらばとなった。懐かしい思い出が詰まった最初の車だった。
128については、リースで4か月、二度目の赴任の時に乗っただけだ。この車は、世界最初のFF(前輪駆動)で、それ以降の車の基礎を築いた優秀な車だった。もちろん、850Sに比べれば、ハンドルの反応が良くて、格段に運転しやすく馬力もあった。
先日、イタリア人留学生に話してみたら、彼は全く128を知らなかった。いい車だったのに。僕にとって、フィアットはいろいろな思い出を詰め込んだ名前で、あの若い、活動的な自分の時間がよみがえってくる。またチャンスがあったら、新しいフィアット500には試乗してみたい気がする。
<この写真はWikimediaからお借りしました。“permission of Mr. Hans Stedehouder of Garage de l'Est, who confirmed that he allows car photographs from this website to be used by anybody for any purpose”とあります>

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