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自分史を映しだす車たち(その2)

 

 前回、自分の歴史を振り返る手がかりとして、僕が選んで乗ってきた歴代の車たちの(その1)を書いた。
  参照:自分史を映しだす車たち(その1)

  

 (その1)では僕がイタリア・ミラノでの生活で選んだ車たちをあつかった。

 乗っていた車を思い出すことで、その時代の自分を思い出すことができる。ある時は楽しい思い出であり、ある時は悲しい、つらい思い出でもある。
 思い出してもらうために再度、歴代の車を書いておこう。
    フィアット 850S
    フィアット 128 
    マツダ ファミリア
    日産 N510
    三菱 ギャラン
    日産 810
    フォルクスワーゲン  初代ゴルフ
    ボルボ 360GLT
    三菱 ギャラン
    スバル インプレッサ 4WD
    スバル R2
    プジョー206
    フィット

 スバルR2がスバルの最後の軽になった。スバルがトヨタに飲み込まれて、軽自動車の自己開発ができなくなったため、ダイハツの車をOEMで売り始めたからだ。きっとトヨタの狙いは、自分の持っていないスバルの水平対向エンジン技術だけだと思う。他には富士重工を取り込む理由はみあたらない。
 トヨタとの関係で、あの懐かしいスバル360からの富士重工の長い軽自動車開発の火は消えた。結果として、次を軽で選べばトヨタの軽自動車担当のダイハツの車に乗ることになる。それはトヨタ車には絶対乗らないという僕の主義に反するから選択肢ではなかった。
 結構楽しんでいたインプレッサは、10年にもなってボロボロ。それで、R2になったのだが、これも7年。そろそろ替え時だった。かといって、新しい3ナンバーの、厳ついインプレッサに乗る気はなかった。
 とにかく日本の車で、いま乗ってみたい車は全くない。そこで、ちょっと小粋なプジョーになったわけだ。もちろん中古。走行距離の1万3千キロが気に入った。
 N510とギャランと初代ゴルフは、僕の特別な時間の中に詰め込まれている。つらい思いはボルボ360に詰まっている。
 
 ボルボの安全神話は、全くのでたらめだと思った。よく壊れた。ディーラーに言わせると、それが、乗員への安全とためだと言い張った。

 一度、問題のリストを作って、日本の代理店の社長さんに送りつけたことがある。手元には今はないので、思い出して書いてみると…
 ・無理矢理、左ハンドルを右ハンドルにしたから、アクセル・ケーブルがエンジンの上を左から右に走っていた。ケーブルはエンジンの熱に常にさらされて、ケーブル内部の潤滑油が焼け、アクセルが戻らなくなった。車が止まらないのだ。怖かったね。根幹的な非安全車だ
 ・東名を走っていたら、フッとルーム・ミラーが消えた。衝突した場合、乗員を傷つけないようにとガラスに直接貼ってあった。それが何にもしなくても落こったのだ。サイドミラーだけで、高速を運転せざるを得なかった。
 ・エンジン・マウントのゴムが劣化した。エンジンがシャシーとぶつかって、ガンガンと音を立てていた。
  ディーラーは、衝突した時に、エンジンが緩衝剤になって、乗員への被害を最小にするためだとぬかした。
  4万キロで交換となった。エンジンを持ち上げて、またやわらかいマウントと交換した。もちろん高い金を
  請求された。
 ・前輪のロッドとハブの間のゴムの緩衝材が、劣化してゴキゴキいいだした。同じことが、4年間の間に2回も起きた。2回目は、何が問題かが自分で判断できるようになっていた。ふざけんじゃない。
 まあ、こんな具合だった。すごく当たりの悪いボルボに当って苦労していた時期だ。
 ボルボのために少し弁護しておかなくてはならないかもしれない。実はこのボルボ360GLTは、スエーデンのボルボの設計でも製造ではなかった。オランダのネッドカーという子会社が、ボルボに委託されて設計・製造していたのだ。この会社は、三菱のヨーロッパ向けの小型車の生産にも関わっていたはずだ。
 インプレッサの前の三菱ギャランは、金食い虫で手のかかるボルボに呆れ果てて、手に入れたものだ。10万キロ走ってくれた。6万キロくらいで、タイミングベルトが切れた。ぷつんと切れた。ただでエンジンをとっかえてもらったが、その後、三菱の大問題となったリコール隠しの車だったのだ。
 最近、プジョウ君が現れた。
 スバルのR2を手放して、いろいろ考えてみたけれど、インプレッサはでかくなり過ぎた。他には、日本車では全く興味がわくデザインがなかった。ちょっとボルボの経験もあるからためらったけれど、楽しそうな車だったから買ってしまった。プジョウ君は僕の友達だ。
 しかし、プジョウ君には、電子部品のセンサーに問題があったのだろう、車を止めてくださいと突然のワォーニングが出た。大黒ふ頭から、レッカーに引かれて、プジョウの販売店に行った。テスターで測ると、警告が出たことは記録されていたが、その原因は不明だった。様子を見てくださいと言われて、修理もできないで、乗り始めた。すると、間もなく首都高で同じウォーニングが出た。どうせ原因はわからないだろうと、信頼感が崩れた。
​ 結果として、また国産車に戻ってきて、今はホンダのフィットを転がしている。特に問題はない。
<この写真は、WikimediaのThomas doerferさんの写真をお借りしました>
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